【瞑想指導編】ヴィパッサナー瞑想センター(京都)10日間コース参加レポート
ヴィパッサナー瞑想センター(京都、千葉)で行われる10日間の瞑想合宿に行ってきました。シリーズでお届けする参加レポート第6弾は、【瞑想指導編】。合宿中、一体どんな指導が行われたのか、その内容を詳しくまとめてみました。
はじめに
京都のセンター外観(著者撮影)
昨今、メンタルに良い効果があると話題の、マインドフルネス瞑想。
これ、もともとは、仏教徒たちが伝統的に行ってきた「ヴィパッサナー瞑想」に由来しています。
今、日本で本格的な「ヴィパッサナー瞑想」を泊まり込みで体験できる場所があります。
その名も「ヴィパッサナー瞑想センター」。
施設は、京都と千葉の2か所。どちらも、人里離れた山奥の静かな場所にあります。
1日の瞑想時間はなんと10時間。そしてこれを10日間。合計100時間行います。
睡眠と食事の時間以外は、ほぼ瞑想。。
もはや瞑想体験といった生やさしいものではなく、ガチ修行ですね。
このセンターでは、世界的に有名なミャンマー出身の瞑想指導者S.N.ゴエンカ氏が確立した瞑想法が指導されています。
瞑想実践者にとっては言わずと知れた存在で、人生で一度は行ってみたいところです。
そしてかくいう私も、先日ついに、参加がかないました!
2019年5月8日〜19日までの10日間、がっつり瞑想を終え、無事帰ってきました。
とても濃密な体験でした。
一つのエントリではとても語りつくせないので、参加レポートをシリーズでお届けしたいと思います。
このエントリでは、【瞑想指導編】と称して、10日間コースで、一体どんな瞑想指導がされたのか、できるだけ詳しくみていきたいと思います。
なお、瞑想指導は、すべて座ったまま、目を閉じていることを前提に行われました。
1〜3日目:呼吸への気づき(アーナパーナ)
アーナパーナとは?
アーナパーナ瞑想のイメージ(1〜3日目)
10日間コースの、最初の3日間は、アーナパーナと呼ばれる、呼吸に意識を集中する瞑想法が指導されます。
上の図のように、1日目は、呼吸とともに鼻の穴を出たり入ったりする空気をただ感じ、そこに意識を集中していきます。
2日目は、鼻全体から上唇にかけての部分に意識を集中し、そこに息が触れる感じや、かすかなかゆみ、痛みなどの皮膚感覚を感じていきます。
3日目になると、対象を少し狭めます。鼻の下から上唇にかけての三角形に意識を集中し、そこで生じる感覚を観察します。
呼吸はコントロールせず、自然な呼吸をただ感じます。
これ、簡単そうに見えますが、やってみるとけっこう難しいのです。
はじめのうちは、呼吸に意識を集中しようと思っても、1分もしないうちに、雑念が入ってきます。
「ああ、お腹空いたなあ」
「合宿が終わったら、焼肉でも食べにいきたいなあ」
関係のない思考が頭をよぎります。
雑念が生じたら、それに気づき、呼吸に注意を戻していきます。
できるだけ早く注意を戻せるように。また、注意の集中をできるだけ長く保てるようにします。
雑念がひどい場合は、ちょっと呼吸を強めにしてみて、呼吸に気づきやすくなるよう工夫します。
なぜ呼吸なのか?
なぜ呼吸に意識を集中するのか?
これについては、コース中、講義の時間に説明がありました。
人間のカラダは、意識と無意識、この2つの領域から成っています。
手足、首、目など、意識とともに動かすことができる部分と、内臓など、意識とは無関係に動き続けている部分です。
心臓、肝臓、胃腸などの動きを、意識してコントロールすることなんてできませんよね。
この2つの領域の架け橋となるのが、「呼吸」です。
呼吸は、意識しなくても勝手に続いていくものですが、意識してコントロールすることもできます。
ですから、まずは呼吸を使って、無意識の領域への感覚を少しづつ培っていきます。
呼吸を糸口としながら、カラダ全体の感覚の気づきへの道程を作っていくというわけです。
ヴィパッサナーのための準備
アーナパーナは、精神集中(サマーディ)の訓練です。
アーナパーナを繰り返すことで、だんだんとカラダの力みがとれてきます。
呼吸はしだいにゆっくりと規則的になり、心は静かになります。
心が平静さを保っていること、これが次の訓練「ヴィパッサナー」へ進む前提条件になります。
ですから、10日間のコースのうち、はじめの3日間をアーナパーナに充て、ヴィパッサナーを行うための心身の土台をつくります。
4〜9日目:全身の感覚の観察(ヴィパッサナー)
ヴィパッサナーとは?
4日目は、「ヴィパッサナーの日」と呼ばれ、10日間の中でも特別な日と位置づけられています。
はじめてのヴィパッサナーの指導は、全員参加のもと、2時間ぶっ通しで行われました。
ヴィパッサナーとは、「はっきりと観察する」という意味で、カラダの感覚をただありのままに観察していく訓練です。
細かい指導はいろいろありましたが、押さえるべきポイントは2つだけです。
・カラダの感覚をありのままに観察する
・心の平静さを保つ
カラダ全身で感じる、かゆみ、痛み、かすかな空気の流れ、温かさや冷たさ、しびれるような感覚やくすぐったい感覚。
どんな感覚でもいいので、カラダ全体で生まれては消えていく感覚をただ観察していきます。
そして、どのような感覚が生じても、平静さを保つこと。
感覚をありのままに観察している間は、「今、ここ」にないもの、過去のことや未来のことにとらわれることはありません。
これを繰り返すことで、雑念や妄想にとらわれない心の状態を作り上げていきます。
感覚の観察ってどうやるの?
カラダをパーツに分けて順番に観察(イメージ)
ヴィパッサナーの指導は、4日目に始まり、9日目まで続きました。
その間、指導の内容は、どんどん細かく変化していきました。
全身の感覚を一度に観察するというのではなく、カラダのパーツごとに分けて観察していきます。
上から順番に、
頭(上→下)、首、肩、右腕(上→下)、左腕(上→下)、胸、腹、下半身(上→下)
という感じです。
はじめは「上→下」の一方通行ですが、やがて「下→上」と往復で行います。
各パーツに意識を集中させ、何か感覚を感じたら、意識を次のパーツに移していきます。
各パーツで何も感覚を感じなかったとしても、最低1分くらいは同じ場所にとどまり、かすかな感覚でも逃さないようにします。
このようにして、最低10分くらいはかけて、全身に意識をめぐらせていきます。
6日目、7日目では、観察の対象を大きくしたり、左右対称のパーツを同時に観察したりと、その方法も少し高度になっていきます。
8日目、9日目くらいになると、「微細で自由な感覚」「粗雑な凝固した感覚」を分けて観察するという指導が入り、どんどん高度になっていきます。
このあたりは、非常に難解で、説明しだすとキリがないので、ここでは省略します。
とにかく、毎日指導内容が微妙に変わっていくので、必死に食らいついていく感じです。
ヴィパッサナーの目的は?
ゴエンカ氏は、講話の中で、ヴィパッサナーの目的は「心の浄化」だと言っていました。
アーナパーナで、精神集中を訓練し心が安らいだとしても、それは表面的なものにすぎません。
問題の根を取り除くためには、心の深層に入りこみ、不純物をその発生時点で取り除く必要があります。
このプロセスが「心の浄化」です。
まさに問題の根本解決。
仏教では「解脱」とか「悟り」と呼ばれるものに当たります。
ただ、「解脱」とか「悟り」というと、限られたごく一部の聖人にしかたどり着けない境地というイメージがありますよね。
ゴエンカ氏はこう言いました。
「瞑想修行においてもっとも大切なこと。それは、今、この瞬間に、心が安らいでいるということだ」
遠くの目標に気を取られ、瞑想がうまくいかないと焦ったり、自分は瞑想に向いていないなどと自分を責めていては、なかなか心の安らぎは得られません。
出家者でもない私たちにとっては、最終ゴールを認識しつつも、やはり「今、この瞬間」心が安らいでいること、この視点を忘れずにいることが大切だと思います。
決意の瞑想
4日目のヴィパッサナーの指導があってから、1日4度のグループ瞑想の時間は、「決意の瞑想」の時間となります。
これは何かというと、基本的に瞑想中は、
・席を立たない
・カラダを動かさない
・目を開けない
というものです。
1時間、微動だにしてはいけません。
足の痛みや痺れがひどい場合には、少しだけ足を動かすくらいのことは許されますが、耐えられるところまで耐えることが求められます。
「つとめて忍耐強く、修行に励みなさい」という感じなので、なかなか厳しいです。
ただ、多くの参加者が、これを忠実に守っていました。
私も、辛かったですが、なんとかこなすことができました。
ヴィパッサナーに入る前、3日間のアーナパーナの訓練で、瞑想の基本的な体力が鍛えられたのだと思います。
なお、決意の瞑想は、「忍耐力をつけるためのもので、拷問でありません」との説明はありました。
守れなくても罰則などがあるわけではないので、安心してください。
「無常」とは?
ヴィパッサナーをしていると、皮膚の上だけでも、さまざまな感覚があることがわかります。
かすかなかゆみや痛み、ピリッとする感覚、くすぐったい感覚、脈打つような感覚。
感じる感覚は、人によって、また時と場合によってさまざまですが、共通点が一つだけあります。
それは、「生まれ、やがて変化し、消滅する」ということ。
身体にどのような感覚が生じたとしても、それらはやがて変化し、消滅します。
心の中も同じです。
心の中に、怒り、不安、後悔、恐怖、どのような感情が生じたとしても、それらはやがて変化し、必ず去っていきます。
これが「無常(anicca)」です。
自然の法則(law of nature)とも、ダンマ(dhamma)とも呼ばれます。
ゴエンカ氏は、感覚を観察する際には、「無常」の理解が欠かせないと再三強調していました。
「無常」を、言葉や概念として頭で理解するのではなく、身体の感覚をもって体験すること、これがとても大切です。
10日目:慈悲の瞑想(メッター)
生きとし生けるものが幸せでありますように
いよいよ10日目、コースの最終日です。
この日は、メッターの指導がある日です。
メッターとは、「慈悲」のこと。愛と慈しみの心を育んでいく瞑想法です。
方法は簡単です。
瞑想の姿勢をとりながら、「生きとし生けるものが幸せでありますように」というフレーズをくりかえしていきます。
全ての生き物に対する慈愛の気持ちを、本気で込めながら、くりかえします。
慣れない人は、少し抵抗があるかもしれません。
嘘っぽいというか、偽善者っぽくて、なかなか気持ちが入らないかもしれませんが、これは科学的にも効果が認められた瞑想法です。
慈悲の瞑想にはさまざまな種類があり、「私が幸せでありますように」「私の親しい人が幸せでありますように」などと主語を変えていくものもありますが、ゴエンカ式は、主語は「生きとし生けるもの」のみでした。
メッターは長時間行うわけではなく、ヴィパッサナーの後、最後の5分間に行うという感じでした。
「心の手術」と「塗り薬」
ゴエンカ氏は、ヴィパッサナーを「心の手術」にたとえました。
心を切開して、中にたまった膿(ウミ)を取り出し、傷口を縫合します。
そして最後に、傷口に「塗り薬」を塗ります。
この「塗り薬」が、メッターです。
10日間コースを実際に体験した私の身からすると、この「塗り薬」のたとえ、とても腑に落ちました。
10日間、ずっと感覚を観察する瞑想ばかりしていると、自分の心にたまっていた汚れや膿(ウミ)と向き合わざると得ず、精神的に追い詰められたように感じることが多々ありました。
まさに手術中、患部を取り出す過程で、たくさんの血が流れる感じでした。
手術が終わり、大きな痛みを感じた後で、傷口に薬が塗られます。
傷口に薬がスーッとしみわたるように、ズタズタになった心が、温かい慈愛の心で満たされていく、そんな感覚でした。
おわりに
京都センター入口の看板(筆者撮影)
以上が、10日間コースの瞑想指導の内容です。
ゴエンカ氏は、ヴィパッサナーを、"Art of Living" であると表現しています。
これは、日本語には訳しにくいですが、「人生をよりよくするための技法」といった意味でとらえればよいと思います。
心を落ち着かせ精神集中するためのアーナパーナ、「心の浄化」のためのヴィパッサナー、そして愛と慈しみの心を育むためのメッター、これらを合わせたものです。
瞑想指導は、ゴエンカ氏の肉声が録音されたテープによって行われました。
ゴエンカ氏の説明を聞きながら、各自が見よう見まねでやってみるというスタイルです。
加えて、コースのアシスタント・ティーチャーと呼ばれる指導者が、補足的に指導したり、質問を受け付ける時間が設けられていました。
瞑想指導は、感覚的な話が多く、とらえにくい部分もありますが、それでも初心者でも取り組めるように工夫されていると感じました。
10日間コース中、私はどんな体験をしたのか、そしてどのような効果があったのかについては、別のエントリ(瞑想体験編、瞑想効果編)でまとめたいと思います。
参考になれば嬉しいです。
※なお、コース中は講義の録音、メモ取りなどは禁止されていたため、本エントリは全て私の記憶を頼りに書かれています。またその内容は、日本ヴィパッサナー協会が公式に伝えるものではなく、あくまで一参加者である私の主観的解釈によるものです。
パオ