【怪しさ・批判編】ヴィパッサナー瞑想センター(京都)10日間コース参加レポート
ヴィパッサナー瞑想センター(京都、千葉)で行われる10日間の瞑想合宿に行ってきました。シリーズでお届けする参加レポート第10弾は、【怪しさ・批判編】。どことなく感じる、怪しい、宗教っぽい雰囲気。。その正体に迫ってみました。
はじめに
京都センター敷地内の様子(筆者撮影、以下同じ)
昨今、メンタルに良い効果があると話題の、マインドフルネス瞑想。
これ、もともとは、仏教徒たちが伝統的に行ってきた「ヴィパッサナー瞑想」に由来しています。
今、日本で本格的な「ヴィパッサナー瞑想」を泊まり込みで体験できる場所があります。
その名も「ヴィパッサナー瞑想センター」。S.N.ゴエンカ氏という、世界的にも有名な瞑想指導者が確立した瞑想法を学ぶことができます。
施設は、京都と千葉の2か所。
人里離れた山奥で、合宿形式でひたすら瞑想だけを行います。
10日間コースで行う瞑想時間の合計は、なんと100時間!なかなかハードな修行です。
私は、2019年5月8日から19日まで、京都で10日間コースに参加してきました。
一つのエントリではとても語りつくせないので、参加レポートをシリーズでお届けしたいと思います。
今回は、【怪しさ・批判編】です。
この瞑想センター、公式サイトは一応あるのですが、サイトの作りが古めかしく、なんとなく「怪しい」「宗教っぽい」と感じるのは私だけではないはずです。
10日間コースを実際に経験した私が、この「怪しさ」の正体を突き止めてみたいと思います。
ヤバイ組織ではありません!
最初に、これだけは明白にしておきます。
このヴィパッサナー瞑想センターは、ヤバイ組織ではありません!
私は、センターの関係者ではありません。特定の宗教・信仰も持っていません。ただ1度、10日間コースに参加しただけの人間です。
そんな私が、断言します。
このセンターは、ある程度健康で、瞑想にまじめに取り組む姿勢さえあれば、どんな人でも安心して参加できるところです。
コースに参加したら、しつこい勧誘を受けるのではないか?
参加費は無料とうたいながら、あとで多額の請求があるのではないか?
洗脳されるのではないか?
全く心配無用です。
センターのスタンスは一貫していて、「来るもの拒まず、去る者追わず」です。
また、参加費は本当に無料です。希望者は寄付をすることができますが、寄付金の用途は明らかにされており、不透明さはありません。
洗脳されるようなことも全くありません。瞑想修行が嫌になったら、途中で帰ればいいのです。
ただ、不安に思う気持ちはよくわかります。
私も参加する前、不安や警戒心がゼロではありませんでした。
加えて、一部ネット上では、センターの運営や瞑想指導に関して、批判の声があるのも事実です。
なぜ「怪しい」のか、なぜ批判されるのか、その原因を考えてみましょう。
情報の閉鎖性
ネット上に情報が少ない
大きな原因の一つに、「情報の閉鎖性」があります。
とにかく、ネット上に情報が少ないです。
どんな企業でも団体でも、ウェブサイトで情報をオープンにするのが当たり前の時代。
でもこのセンターの公式サイトは、どこか古めかしい作りでテクスト主体、情報が限られています。
ゴエンカ氏については詳しいですが、京都や千葉の施設の様子や、そこで働く指導者やスタッフについての情報はほとんど公開されていません。
結局、このサイトを見ても、センターがどんなところなのかわからず、「なんか怪しい」と思ってページを閉じてしまうのでしょう。
ただ、後からわかったのですが、センターは別に情報を隠しているわけではありません。
広報活動が追いついていないだけのようです。
施設の維持管理や、コースの運営は、全て寄付とボランティアによって成り立っています。
商業ベースで誰かが仕事をしているわけではなく、広報活動もボランティアが行なっているので、細かいところまで行き届いていないだけです。
むしろ、年に数回、施設の一般見学会なども行われており、情報公開の努力の姿勢が見られます。
秘密主義をとっているわけではありません。
コース中に学んだ内容を口外してはいけないという決まりもありませんし、施設の写真撮影についても、コース中でなければ許可が出ました。
参加者が、センターの神聖な雰囲気を感じ取り、ネット上で情報発信するのをどこか遠慮していたのかもしれません。
最近では、当ブログのような個人の体験記も増え、情報が少しずつオープンになってきてはいます。
コース終了後に明らかになること
事前情報も十分ではないまま、思い切って10日間コースに参加します。
ところが、現地に到着し、コースが始まっても、あまり丁寧な説明はありません。
コース中の規律を守る誓約をしたり、貴重品・電子機器を預けたりする一方で、
ヴィパッサナー瞑想センターの概要、コースの全体像などについては、詳細は語られません。
当日の流れや、せいぜい翌日のスケジュールなどについて、最低限の説明があるだけで、先のことはあまりわかりません。
なんとなく、情報を出し惜しみされたまま、コースの日程をこなしていく感じです。
ところが終了前日、「聖なる沈黙」というルールが解かれるタイミングで、一気に情報が開示されます。
ヴィパッサナー瞑想センターの紹介、ゴエンカ氏関連書籍、各種コースやイベント案内などの情報提供があります。
ネット上に公開されていないだけで、参加者に対しては惜しみなく情報開示されるので、安心しました。
10日間という設定に疑問
瞑想指導の手法についても、どこか閉鎖性を感じます。
はじめて参加する場合、申し込みできるのは「10日間コース」のみ。
前後の移動日を合わせると、実質12日間の予定を確保しなければいけません。
日本のサラリーマンの感覚からすると、これは少しハードルが高いです。
この時点で、門戸を狭くしているのではないか、と思うのも無理はありません。
10日間という設定の根拠については、一応コース中に説明があります。
ヴィパッサナー瞑想というものを理解し、その効果を得るために必要な最低限の期間が10日間なのだそうです。
今まで世界中のセンターで何千もの人々がコースに参加した中で得られた「経験知」です。
10日間コースは、1日ごとに細かい指導が設計されていて、1日でも欠けると、望ましい効果が得られないようになっているそうです。
これを、聞いて納得するかどうかは人それぞれだと思います。
少なくとも、10日間という設計に科学的根拠があるわけではありません。もっと短い期間でプログラムが組めるのではないかと思う人がいても、無理はありません。
原理主義的性格
センターにはどこか原理主義的な性格があり、「怪しさ」の原因になっていると感じます。
公式サイトでは、
ヴィパッサナーとは、苦悩を根絶するための実践法である。普遍的な問題に対する普遍的な解決法であり、宗教や宗派とは一切関係がない。
旨の説明がされています。
確かに、仏像やマントラなど宗教的要素は排除されているのですが、それでも、瞑想指導の手法が、良くも悪くも原理主義的だと思いました。
ヴィパッサナー瞑想は、もともとブッダが悟りを開いた瞑想と言われ、長い間仏教徒の間で伝承されてきたものです。
ゴエンカ氏は、この伝統を引き継ぎながら、仏教徒以外の人でも実践できるよう現代流にアレンジして、この10日間コースを考案しました。
ですから、センターにおける瞑想実践、規律、生活、運営など細部にいたるまで、ゴエンカ氏の思想が反映されています。
実際の瞑想指導も、講話も、全てゴエンカ氏の録音テープによって行われます。
コースを指揮する指導者も、もともとは全てゴエンカ氏から任命された人物で、彼らにあまり裁量はありません。
印象的だったのは、ゴエンカ氏の「詠唱」です。
瞑想の時間になると、毎回、スピーカーからゴエンカ氏の歌が流れます。
メロディに乗せて、仏典のことばをパーリ語で歌います。
長いときには、歌が20分くらい続くときもあります。
当然、何を歌っているのか意味はわかりませんし、解説もありません。
参加者は、この間黙って、その歌を聞くほかありません。
「宗教でない」ことを強調するなら、歌を黙って聞かせるのではなく、その意味を明らかにして参加者に示した方が良いと思います。
何かの行為を強制させられたりすることはないので、心配はいりませんが、原理主義的な性格は随所でみられました。
言葉づかい、翻訳の問題
瞑想指導や講義の中にみられる言葉づかいからも、「怪しさ」や宗教的要素を感じることは多々ありました。
これには、翻訳の問題が関係しています。
コース中に使用されるテープは、ゴエンカ氏が1980年代にインドで指導を行ったときに録音されたものです。
もともとは英語です。
英語の指導は、仏教用語は極力使われず、わかりやすいことばでまとまっていて、素晴らしいものでした。
数多くのインド人や欧米人に支持されたのも納得。ヒンドゥー教徒やキリスト教徒でも、抵抗なく受け入れられるものです。
ただ、それを日本語に翻訳したときに、微妙にニュアンスのズレが生じていたのは残念でした。
例えば " the eight fold noble path " を「八つの聖なる道」と訳したり、" noble silence " を「聖なる沈黙」と訳していました。
" Noble " ということばは欧米人には受け入れやすいと思いますが、それを「聖なる」と訳してしまうと、途端に宗教的になります。「正しい」くらいでよかったはずです。
" Inspiration " を「霊感」と訳しているのも残念でした。そこまで深い意味はなく、「インスピレーション」でよかったと思います。
仏教をよりわかりやすい言葉で説明するというゴエンカ氏の意図とは裏腹に、日本語訳が、逆に宗教性を帯びてしまっていると感じました。
「輪廻」について
コース中、ゴエンカ氏の指導を受けていて、もっとも宗教性を感じたのは、「輪廻」に関する部分でした。
ゴエンカ氏は、「心の中に生起するさまざまな反応は、肉体が滅びても続く」と言いました。
一人の人間が死ぬとき、そこにあるサンカーラ(心の反応)は、「次の生に引き継がれる」という説明をしました。
輪廻をどうとらえるかは、仏教思想上の一大テーマです。
仏教思想に詳しい方なら、「有我」を前提とした輪廻、「無我」を前提とした輪廻など、いろいろと解釈できるところかと思います。
ただ、仏教思想に詳しくない一般人が、ゴエンカ氏の説明を素朴に聞いたら、
「人は死んだら生まれ変わる」という解釈になるのが普通だと思います。
「宗教ではない」ことを強調しているはずのゴエンカ氏が、「生まれ変わり」を説いているのだとしたら、え??ってなりますよね。
「生まれ変わり」というのは、信仰です。
科学で確かめようがありませんから、事実ではありません。
あくまでも信じるものです(信じることが悪いといっているわけではありません)。
日本では、「生まれ変わり」を本気で信じている人は少数派ですから、このゴエンカ氏の説明を受け入れられなくても、無理ないです。
ゴエンカ氏が瞑想指導を行ったのは、インドやミャンマーでした。
これらの国々では、宗教・宗派を超えて、「生まれ変わり」が一般通念として広く浸透しているという背景があります。
この前提を共有していないわれわれ日本人が、この説明をどうとらえればいいのか、悩ましいところです。
私個人的には、ヴィパッサナー瞑想によって心を浄化していくプロセスと、「生まれ変わり」を信じるかどうかは、別問題だと思っています。
言い方を変えれば、「生まれ変わり」を信じなくても、瞑想によって心を浄化することはできるということです。
輪廻についての説明は、違和感を感じる人は多いと思いますが、ここはとりあえずスルーしておいて、大きな問題はありません。
おわりに
以上見てきたように、実際にコースに参加してみて、「怪しさ」を感じる場面はたくさんありました。
現代の日本人の感受性に合わせて、もう少し表現を工夫する必要があるのかもしれません。
ただし、それらは本質的な問題ではありません。
「怪しい」と思っても、とりあえずそこはスルーして、センターでの規律やゴエンカ氏による指導を受け入れてみると良いと思います。
だまされたと思って辛抱強く、言われた通りに実践を続けていると、ヴィパッサナー瞑想というものの体験的な理解が進んできます。
そこで私が体験したこと、その後感じた効果は、私にとって宝物になりました(詳細は、瞑想体験編、瞑想効果編を参照)。
「怪しさ」に気を取られて参加をためらうのはもったいないと思うので、迷っている方は、思い切って参加されることをおすすめします。
参考になれば嬉しいです。
パオ