瞑想Hack

瞑想を始めたい・続けたい人のための瞑想ライフハック・ブログです。瞑想に取り組む上で知っておきたいことを、脳科学や仏教の視点も交え、わかりやすく解説しています。

【瞑想体験編】ヴィパッサナー瞑想センター(京都)10日間コース参加レポート

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ヴィパッサナー瞑想センター(京都、千葉)で行われる10日間の瞑想合宿に行ってきました。シリーズでお届けする参加レポート第7弾は、【瞑想体験編】。100時間の瞑想で、私は何を体験をしたのか、その核心に迫ります。

 

 

 

 

はじめに

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京都センターの瞑想ホール外観(筆者撮影)

 

昨今、メンタルに良い効果があると話題の、マインドフルネス瞑想。

 

 

これ、もともとは、仏教徒たちが伝統的に行ってきた「ヴィパッサナー瞑想」に由来しています。

 

 

今、日本で本格的な「ヴィパッサナー瞑想」を泊まり込みで体験できる場所があります。

 

 

その名も「ヴィパッサナー瞑想センター」。

 

 

施設は、京都と千葉の2か所。どちらも、人里離れた山奥の静かな場所にあります。

 

 

1日の瞑想時間はなんと10時間。そしてこれを10日間。合計100時間行います。

 

 

瞑想実践者にとっては言わずと知れた存在で、人生で一度は行ってみたいところです。

 

 

そしてかくいう私も、先日ついに、参加がかないました!

 

 

2019年5月8日から19日まで、10日間コースを終え、無事帰ってきました。

 

 

とても濃密な体験でした。

 

 

一つのエントリではとても語りつくせないので、参加レポートをシリーズでお届けしたいと思います。

 

 

このエントリでは、【瞑想体験編】と称して、10日間コースで、いったい私はどんな体験をしたのか、その核心に迫ってみたいと思います。

 

 

10日間コースで行われた指導の内容については、瞑想指導編にまとめています。本エントリとあわせてお読みいただければと思います。

 

 

 

1〜3日目:呼吸への気づき(アーナパーナ)

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最大の敵は睡魔

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10日間コースの、最初の3日間は、アーナパーナと呼ばれる、呼吸に意識を集中する瞑想法が指導されます。



正直に言って、このとき私にとっての最大の敵は、睡魔でした。

 

 

情けないと思われるかもしれませんが、睡魔はバカにはできないのです。



原因はいくつかあります。

 

 

まず、コース中は、朝4時に起きなければならないということ。

 

 

私は普段から早起きの習慣はありますが、さすがに4時起きはきつかった。

 

 

5月中旬でもまだ外は暗く、顔を洗ってもなかなか目が覚めません。

 

 

5時台なると外は明るくなりますが、瞑想ホールの中はカーテンが閉められ、昼間でも非常に暗いので、本当に目が覚めないのです。

 

 

食事の取り方にも原因がありました。

 

 

コース中、1日の食事は2回のみ。はじめのうちはとにかくお腹が空きます。

 

 

空腹を満たすために、ご飯を一度にたくさん食べてしまったのが、瞑想中の眠気に拍車をかけました(詳細は、食事編を参照)。

 

 

ひどい時は、瞑想は5分ともたず、居眠り状態。。

 

 

ひんぱんにトイレに行って顔を洗ったり、庭で散歩したりして、仕切り直しです。

 

 

1日目、2日目は、眠すぎて瞑想どころではありませんでした。

 

 

眠気がようやく落ち着いたのは、2日目の夜くらい。

 

 

朝4時、夜9時半就寝のリズムにカラダが慣れ、瞑想中もなんとか起きていられるようになりました。

 

 

 

果てしない妄想

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睡魔が落ち着くと、次にやってきたのは、雑念妄想です。

 

 

朝食に出たパンとジャムバター、おいしかったな。お昼のメニューはなんだろうな。

 

 

コースが終わったら肉が食べたいな。

 

 

肩が凝ったな。コースが終わったらマッサージに寄ってから家に帰ろう。どの店がいいかな。

 


どうでもいい思考に気を取られます。

 

 

必死で、意識を呼吸に戻し、精神集中しようとしますが、すぐに気が散ってしまいます。

 

 

雑念は、だんだんエスカレートし、妄想になります。

 

 

高校時代の仲良くもなかった友人がいきなり現れて自分の悪口を言ってきたり。

 

 

海外に住んでいた頃のルームメイトが何人か現れて自分に笑顔で語りかけてきたり。

 

 

そんなイメージが次々と浮かんでは、消えていきます。

 

 

また、性的なイメージも多かったです。

 

 

自分でも思いつかないようなアブノーマルなイメージが次々と浮かび、正直驚きました。

 

 

まるで風変わりなポルノを見せられているようでした。

 

 

夢を見ていたのかもしれません。

 

 

自分が覚醒していて思考していたのか、半睡眠状態で夢を見ていたのか、その区別もつきませんでした。

 

 

雑念や妄想があまりに多く、その内容もひどかったので、自分に呆れました。

 

 

でも、雑念や妄想は自分の仕業ではないのです。

 

 

脳が勝手にデタラメなイメージを生成しているだけです。

 

 

だから、そこに特別な意味はないですし、呆れる必要もありません。

 

 

そうやって、雑念や妄想と「自分自身」をできるだけ切り離し、呼吸の感覚だけに意識を集中するよう努めました。

 

 

カラダの痛み

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1日目から、カラダのあちこちが悲鳴を上げ始めました。

 

 

私は普段から瞑想の習慣はありますが、それでも1日10時間も座ったことなんてありません。

 

 

ずっとあぐらの姿勢で座りっぱなしですから、肩、背中、腰の痛み、足のしびれなどに悩まされました。ときおり、頭痛もおそってきました。

 

 

1日目からこんな調子で、本当に10日間も耐えられるだろうかと不安になりました。

 


とにかく、はじめの3日間は、センターでの生活に慣れるので精一杯。

 

 

瞑想も思うようにできず、正直苦痛しかありませんでした。

 

 

精神集中を養うためのアーナパーナでしたが、逆に精神は荒れ、散漫になっていくような気さえしました。

 

 

まだまだ序盤です。この先に突破口があるかもしれない。

 

 

そうやって自分を信じながら、1日1日を耐えていました。

 

 

 

4〜9日目:全身の感覚の観察(ヴィパッサナー)

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生まれて初めての体験

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4日目以降、ヴィパッサナーの指導に入ります。

 

 

ヴィパッサナーとは、心を浄化するための瞑想法です。

 

 

全身の皮膚感覚をていねいに観察し、妄想や雑念にとらわれない心の状態を作り上げていきます。

 

 

4日目の夕方、はじめて「これだ!」という手応えがありました。

 

 

生まれて初めての経験でした。

 

 

このときも、最初はいつものように雑念と戦っていました。

 

 

それでも辛抱強く、頭、肩、腕、足と、皮膚の表面に起こる感覚を観察していると、ふとしたときに、心がいつもよりも穏やかになっていることに気がつきました。

 

 

そして、心の実況中継のようなものが自然と生じていました。

 

 

お、右足の先にピリッときた。

 


左肘のあたりに、少しかゆみがあった。

 


今、首の後ろがかすかにつっぱった。。

 

 

しばらくして、心の中を見渡してみました。

 

 

すると、そこに、余計な思考、雑念、妄想は見当たりませんでした。

 

 

雑念のようなものが一瞬生じたとしても、それに気がつくスピードが速くなり、すぐにカラダの感覚に意識を戻すことができました。

 

 

20分くらいの間、高いレベルで気づきを保つことができました。

 

 

このときは、カラダのコンディションがとても良かったのだと思います。

 

 

夕方のシャワーを浴びた後だったので、リフレッシュし、眠気もなかった。また、熱いお湯で全身の皮膚が活性化し、感じやすい状態だったというのもあります。

 

 

 

さらなる深みへ

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4日目の夕方にはじめて「手応え」があった後も、急に上達というわけにはいかず、一進一退が続きます。

 

 

1日10時間ある瞑想時間のうち、うまくいくのは2割程度。8割くらいの時間は、相変わらず、苦しい時間が続きます。

 

 

特に午前中は、なぜか眠気や雑念が多くて苦労しました。

 

 

ですが、5日目の夕方、さらに深い体験が待っていました。

 

 

そのときも、4日目の成功体験のときと同じように、全身の感覚をていねいに観察していました。

 

 

観察の実況中継が始まり、雑念や眠気がだんだんとなくなっていくのがわかりました。

 

 

そんな風に、気持ちよく瞑想していたときに、パッと、どこかで何かの感覚がありました。

 

 

少し時間がたって、この感覚の正体がわかりました。

 

 

他の参加者の「ゴホッ」というの咳払いの音でした。

 

 

咳払いの音が、耳から入ってきたのでした。

 

 

でも、最初は、これが耳から入ってきた音だとはわからず、自分の手先や足先のかゆみや痛みと区別がつかなかったのです。

 

 

ほんの一瞬だけです。ほんの一瞬だけ、自分の皮膚感覚と、咳払いの音に区別がつかない瞬間がありました。

 

 

両者区別がつかないくらい、自分のカラダが、瞑想ホールの空気の中に没入しているような感覚でした。

 

 

言い方を変えれば、自分のカラダの感覚を、もはや自分のものではないかのように感じていたということかもしれません。

 

 

すごい体験でした。

 

 

やがて、瞑想の時間が終わります。

 

 

スピーカーから、終わりを告げるゴエンカ氏の声が流れます。

 

 

ゆっくり目を開けます。

 

 

「あ、今まで自分はここで瞑想していたのか・・」

 

 

指導者や、たくさんの生徒たち、瞑想ホールの様子が目に入ってきます。

 

 

これらが目の中で像を結び、意味を持つまでに、いつもより時間がかかります。

 

 

静かに立ち上がり、建物の外に出ます。

 

 

太陽の光や、空の青、木々の緑が目に飛び込んできます。

 

 

それぞれの事物が、意味を持つまでに時間がかかります。

 

 

赤ん坊が、はじめて世界を見たときの感覚に近いかもしれません。

 

 

とにかく新鮮で、静かだけれど揺るぎのない喜びを感じました。

 

 

「ヴィパッサナーってすごいな。。」

 

 

自分なりに自信を深めました。これは生涯にわたって続けるだろうな、そう思いました。

 

 

 

成功体験への囚われ

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その後も、一進一退が続きます。

 

 

ダメなときは、相変わらず眠気や意味のない妄想にとらわれ、消耗します。

 

 

4日目、5日目の体験が素晴らしいものだっただけに、6日目以降は、その成功体験に囚われる感じになってきます。

 

 

また、成功体験も時間がたつと、記憶も曖昧になり、この方向性でそのまま進んで良いものかと、不安になってきました。

 

 

これを確認すべく、質問の時間に指導者に疑問をぶつけてみました。

 

 

指導者に、4日目、5日目の体験の経緯を説明しようとしました。

 

 

でも、指導者に途中で話を遮られ、うまくコミュニケーションを取ることができませんでした。逆に、厳しくお叱りを受ける始末。。

 

 

指導者編で詳しく書きますが、このときの指導者は外国の方で、日本語でのコミュニケーションに難がありました。

 

 

このときお叱りを受けたことで、私はまたネガティブな感情にとらわれ、それが瞑想修行を一層難しいものにしました。

 

 

でも、途中で気がつきました。

 

 

何も気にする必要はないのです。

 

 

指導者に何か嫌なことを言われたとしても、過ぎてしまえば過去のこと。目の前の現実ではありません。

 

 

4、5日目に成功体験があったとしても、それももはや過去のこと。記憶はどんどん頼りないものになっていきます。

 

 

何も気にせず、ただ、今この瞬間に、カラダに生じている感覚を、観察し続ければ良いのです。

 

 

そして、カラダにどのような感覚が生じたとしても、平静さを保ち続けるのです。

 

 

実にシンプルです。

 

 

7日目くらいからは、このように気を取り直して、瞑想を続けていきました。

 

 

 

10日目:慈悲の瞑想(メッター)

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泣く

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コースも終盤、9日目くらいになると、ヴィパッサナーにはずいぶん慣れてきて、高いレベルで気づきを保てるようになりました。

 

 

でも、1日10時間、ずっと良い状態で瞑想できていたわけではありません。

 

 

状態の悪いときは、相変わらず、心は暴走します。

 

 

デタラメな妄想や、過去の辛かった出来事や後悔など、心の膿(ウミ)がどんどん出てきました。

 

 

そう簡単には楽になりません。

 

 

33年間生きてきて蓄積させた心の汚れをまざまざと見せつけられているようで、本当に苦しかったです。

 

 

瞑想の技術が身についてきて自信を得るのと同時に、どんどん疲弊していく自分がいたのも事実です。

 

 

そしていよいよ10日目。メッター(慈悲の瞑想)の指導です。

 

 

メッターとは、愛と慈しみの心を育む瞑想法で、「生きとし生けるものが幸せでありますように」というフレーズを心の中でくりかえします。

 

 

ヴィパッサナーが心の膿(ウミ)を取り出す手術だとしたら、メッターは傷口に塗る「塗り薬」です。

 

 

ゴエンカ氏によるメッターの説明が始まると間もなく、涙が溢れてきました

 

 

「生きとし生けるものが幸せでありますように」

 

 

このフレーズは、普通はなかなか、気持ちを込めて言うのは難しいと思います。

 

 

偽善者っぽいですし、気持ちを込めようとしてもどこかシラけてしまいますよね。

 

 

でも私は、この時ばかりは本気で気持ちが入りました。

 

 

ヴィパッサナーの修行の間、心の中にある不安、怒り、後悔、恐怖などをまざまざと見せつけられ、そんなネガティブな感情にうんざりしていたからかもしれません。

 

 

自分自身や親しい者、今生きている者たちを愛する気持ち、慈しみの気持ちが、心の中に充満しました。

 

 

涙がしばらくの間流れ続け、やがて止まりました。

 

 

そのあと、ウソのように心が軽くなりました。

 

 

こんな風に書いていると、なんだか宗教みたいで怪しいと思う方がいるかもしれません。

 

 

でも、この瞑想法、効果は脳科学でも証明されているものです。

 

 

私も宗教やスピリチュアルには抵抗がある方ですが、科学的根拠があることを知ってからは、日常的にも行うようになりました。

 

 

慈悲の瞑想の詳細はこちらのエントリをご参照ください。

 

 


 

聖なる沈黙が解かれる

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メッターの指導の後、ついに「聖なる沈黙」が解かれます。

 

 

「聖なる沈黙」とは、「コース中は誰ともコミュニケーションをとってはならない」というルールです(詳細は生活編を参照)。

 

 

10日間、会話、ジェスチャー、筆談も禁止。スマホの使用も禁止で、完全な沈黙を守ります。

 

 

瞑想ホールを出ると、参加者たちが小声でざわざわと話しています。

 

 

そういえば、ここにいる人たち、誰も知り合いではなかったことに気づきます。

 

 

でも、100時間ともに瞑想した仲間なので、戦友のような一体感を感じました。

 

 

私は我慢できなくなって、「お疲れさまでした」とみなさんに積極的に話しかけていきました。

 

 

参加者のみなさんは、年齢も国籍もさまざまで、多様なバックグラウンドをもった人たちと瞑想実践について語り合うのは非常に楽しいものでした。

 

 

この日は、コースの中で最も明るく、前向きで、清々しい気持ちで過ごすことができました。気持ちがこんなに明るくなったのは、メッターのおかげだと思います。

 

 

一方で、「聖なる沈黙」が解かれたあとも、ヴィパッサナーの時間は続きます。

 

 

沈黙が解かれたあと、瞑想中の集中力はガクッと落ちました。

 

 

沈黙がいかに瞑想の質を高めていたかが、よくわかりました。

 

 

 

おわりに

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京都センター入口の看板(筆者撮影)

 

以上見てきたように、コース中はさまざまな経験をしました。

 

 

ゴエンカ氏が例えたように、本当に一つの大きな手術を終えたような重みがありました。

 

 

とにかく、苦しかった。。

 

 

何が苦しかったのでしょうか。

 

 

カラダが苦しかったわけではありません。

 

 

肩や腰の痛みは、1日目がピークで、時間がたつにつれどんどん楽になりました。

 

 

特殊な生活環境が苦しかったわけでもありません。

 

 

早寝早起き、1日2度だけの食事、集団生活など、はじめは大変でしたが、2〜3日もすれば慣れました。

 

 

一番苦しかったのは、です。

 


自分の心の中にある汚れと向き合うのが、とにかく苦しかったのです。

 

 

瞑想中、不安、恐怖、後悔、怒りなどが、イヤというほど湧いてきます。

 

 

これらを止める方法はただ一つ、カラダの感覚を観察することだけです。

 

 

感覚に意識を集中している間は、余計なことを考えずにすみますから、心は安らかになります。

 

 

逃げることはできません。心の汚れは、ご飯を食べているときも、散歩しているときも、寝ている時でさえ、影のようにつきまといます。

 

 

感覚を観察する、そして気づきの状態を長く保つ。これしか、心を休める方法はありません。

 

 

よくできた修行だなと思いました。

 

 

瞑想体験は感覚的な話が多く、感じ方も個人差が大きいです。

 

 

私の話がそのまま他の人にも当てはまるとは限りませんが、精一杯、体験を言葉にしてみました。

 

 

参考になれば嬉しいです。

 

 

 

パオ