瞑想Hack

瞑想を始めたい・続けたい人のための瞑想ライフハック・ブログです。瞑想に取り組む上で知っておきたいことを、脳科学や仏教の視点も交え、わかりやすく解説しています。

坐禅と瞑想の違いとは?

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坐禅(禅)と瞑想の違いって何?細かな作法の違いは色々とありますが、最も大きな違いは、その「目的」にありました。どういうことか、専門書をひも解きながら解説します。

 

 

 

 

 

はじめに

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近頃、何かと話題の瞑想やマインドフルネス。

 

 

瞑想にはメンタルに良い効果があることが科学的にも実証され、若い層でも、生活に取り入れる人が増えてきました。

 

 

でも、ちょっと待ってください。

 

 

「瞑想」と似たようなものとして、「坐禅(禅)」というものもありますよね。

 

 

どちらも、あぐらを組んで目を閉じ、呼吸を整え、心を無に。。

 

 

そんなイメージがあります。

 

 

坐禅と瞑想。

 

 

何が違うのでしょうか?

 

 

以下、解説していきたいと思います。

 

 

 

「瞑想」の意味するもの

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「瞑想」を広辞苑で調べると、

 

 

「目を閉じて静かに考えること。現前の境界を忘れて想像をめぐらすこと」

 

 

などと出てきます。

 

 

足を組むなどして座り、目を閉じて心を落ち着けるなどの行為全般を指すことばとして使われています。

 

 

瞑想的な行為は、古来さまざまな宗教の中に見られますが、中でも特筆すべきなのは、やはり仏教における瞑想です。

 

 

かのゴータマ・ブッダは、「ヴィパッサナー瞑想」と呼ばれる、物事をありのままに観察する瞑想法によって、「悟り」を開いたと言われています。

 

 

今日でも瞑想の実践は、宗派による違いはあるものの、仏道修行において中心的な位置を占めています。

 

 

仏教の瞑想をベースに、科学の力も借りて現代風にアレンジしたのが、いわゆる「マインドフルネス瞑想」と呼ばれるものです。

 

 

マインドフルネス瞑想には、

 

 

✅集中力が上がる
✅睡眠の質が上がる
✅ストレスが低減する

 

 

などの効果があることが、数々の実験でも明らかにされています。

 

 

臨床の現場への応用が進んでいるほか、Google などのグローバル企業が研修に取り入れたことでも話題になりました。

 

 

一般的に「瞑想」といえば、仏教の瞑想ではなく、このマインドフルネス瞑想をイメージする方も多いと思います。

 

 

「坐禅」の意味するもの

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坐禅は、行為としては瞑想に似ていますが、歴史的背景が大きく異なります。

 

 

坐禅は、仏教の中でも、大乗仏教の一派である禅宗で行われるものです。

 

 

禅宗は中国で生まれ、宋代に発達します。

 

 

日本には鎌倉時代に伝わります。曹洞宗、臨済宗がよく知られています。

 

 

ちなみに、坐禅とは、「座って行う禅」という意味です。

 

 

「禅」は、サンスクリット語のディアーナ(禅那)の略で、精神が統一された状態を指すことばです。

 

 

修行法の中身を見ても、坐禅は、マインドフルネス瞑想とはいろいろな点で異なります。

 

 

例えば、座り方について。

 

 

マインドフルネス瞑想のスタジオでは、座り方についてあれこれと厳しく注意されるようなことはあまりありません。

 

 

足の組み方もそれなりに自由ですし、イスに座って瞑想しても大丈夫です。

 

 

一方、禅寺の指導は、わりと厳しめです。

 

 

結跏趺坐(けっかふざ)といって、両足をヒザの上にのせて結んだ形にすることが求められたりします。

 

 

また、警策(けいさく、きょうさく)と呼ばれる棒でビシッと叩かれるといった光景も、おなじみかもしれません。

 

 

修行法について、細かな違いはたくさんありますし、また禅宗の中でも、曹洞禅と臨済禅ではいろいろと異なる点があります。

 

 

瞑想の目的は?

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瞑想と坐禅、修行法の違いは多々あるのですが、最も大きな違いは、その「目的」にあると言えます。

 

 

瞑想と坐禅を分かつ、本質的な違いです。

 

 

瞑想の目的とは何でしょうか?

 

 

仏教の文脈では、瞑想の目的はこのように説明されます。

 

 

悟りを開いたブッダが人類に向かって法(ダンマ)を説いた目的はただ一つ、人々が苦しい生存の状態から解放されることを願ってのことでした。

 

その苦から解放されるための方法としてブッダが提示したものが、ヴィパッサナー瞑想というシステムです。

引用元:『ブッダの瞑想法-ヴィパッサナー瞑想の理論と実践-』地橋秀雄著、春秋社、2006年

 

 

 

つまり目的は、「悟り」を開くこと。そのための手段の一つに、瞑想実践が位置づけられています。

 

 

仏教の瞑想法を医学分野に応用し、「マインドフルネス」の生みの親となったジョンカバットジン博士は、瞑想の目的を、ストレス低減・癒しとしました*1

 

 

瞑想を、宗教的な文脈から切り離し、科学的・医療的な文脈でとらえ直したのです。

 

 

マサチューセッツ大学メディカルスクールにおいて、同博士は「マインドフルネス・ストレス低減法(MBSR)」の8週間のプログラムを開発し、実際の臨床の現場に応用しました。

 

 

さらに、Google でマインドフルネスをベースとした研修プログラム「サーチ・インサイド・ユアセルフ(SIY)」を開発したチャディー・メン・タン氏は、瞑想(マインドフルネス)の目的を、EQ(情動的知能)の管理と育成としています。

 

 

メン氏は、マインドフルネスを通じて感情をコントロールする術を学ぶことで、優れた職務遂行能力やリーダシップを発揮できるようになると主張しています*2

 

 

このように見ていくと、瞑想は近年、医療やビジネスといった領域にも応用され、その目的も多様化していることがわかります。

 

 

「悟り」にせよ、「ストレス低減」、「EQの向上」にせよ、瞑想には必ず「目的」があることがわかります。

 

 

時代とともに、人々が瞑想に求めるものは変化していきますが、瞑想が、何らかの目的を達成するための手段として考えられていることは、はっきりしています。

 

 

 

坐禅の目的は?

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それでは、坐禅の目的について考えてみましょう。

 

 

曹洞宗僧侶で曹洞宗国際センター所長の藤田一照氏は、

 

 

「坐禅は、所定の目的を達成するために一定のテクニックとかメソッドを学び、それに習熟していくことを目指す営みではない」

 

 

ことを強調しています。

 

 

坐禅は、みなさんが抱いているような期待にこたえてくれません。

 

みなさんが願っているような満足を与えてくれません。

 

澤木興道老師の有名な言い方を借りると「坐禅してもなんにもならん!」と、身も蓋もないことを言うことになるからです。

引用元:『現代坐禅講義-只管打坐への道』藤田一照著、佼成出版社、2012年。以下同じ。

 

 

要するに、坐禅に目的なんかないということ。

 

 

坐禅する目的は、坐禅そのものにあるとも言えます。

 

 

坐禅は〇〇呼吸法といか〇〇瞑想法といった一つの限定された方法に還元できないものです。

 

ですから坐禅は坐禅であるという他ありません。

 

瞑想法といわれるものの多くは、何か具体的な目的とか目標を持っています。

 

(中略)

 

わたしが言いたいのはそれらの瞑想法がいけないとか間違っているとか、やってはいけないとかいうことでは決してなくて、只管打坐の坐禅とそれらの瞑想法とは基本的に性格というか質が違う、ものが違うということなのです。

 

 

坐禅を深めていくということは坐禅がうまくできるようになることとは違います。

 

坐禅がテクニックの習熟の問題ではないということはそこにも繋がってきます。

 

自分は坐禅がうまくなってきたなどとうぬぼれるのは、坐禅においては立派な堕落になります。

 

坐禅にはエキスパート(熟達者)があってはなりません。どんなに経験を積んでもいつも初心者(ビギナー)で坐るのです。

 

 

「メンタル状態を改善したい」とか、「立派な人間になりたい」とか、そういう目的意識を持ってしまった時点で、いくら坐っても、それはもう坐禅ではありません。

 

 

目的がない。目的を設定してはならない。

 

 

これが、瞑想との最大の違いと言えます。

 

 

 

おわりに

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坐禅の考え方は、どこか身も蓋もないところがあります。

 

 

何にもならないんだったら、なんで坐禅するの?

 

 

現代の価値観からすると、受け入れがたい部分があるのは事実です。

 

 

ただ、瞑想を続けていきたいと思う私たちにとって、この坐禅の考え方は、知っておいて損はないと思います。

 

 

今は、瞑想ブームの時代。

 

 

インターネットで「瞑想」「マインドフルネス」と検索すると、

 

 

それこそ、

 

 

✅集中力が上がる
✅睡眠の質が上がる
✅ストレスが低減する

 

 

みたいな具合に、宣伝文句が目に飛び込んできます。

 

 

脳科学や心理学の知見からも明らか!と、科学的根拠が自信たっぷりに示されるものですから、誰でも一度はやってみたいと思うのです。

 

 

でも、実際に瞑想をしてみると、期待通りに効果を感じられないことも多々あります。

 

 

科学寄りの本ばかり読んでいると、そこで強調される効果と、自分の実感とのギャップを感じやすくなります。

 

 

なかなか効果を感じられない。自分は瞑想が下手なんじゃないか。。

 

 

期待は失望に変わります。

 

 

瞑想を半年、1年と続ける人が、必ずと言っていいほどぶち当たる壁です。

 

 

「これだけ瞑想しているのだから、何か得るものがあるはずだ」という下心が、しだいに、瞑想実践の妨げになってしまうのです。

 

 

そんなとき、禅の考え方に学び、見込み、目的、効果といった、心のはからいをいったんリセットしてみるのも手です。

 

 

いつでも自分はビギナーだと思って、目の前の瞑想実践に集中してみる。

 

 

これが、瞑想を長く続けていく上でのヒントになるかもしれません。

 

 

参考になれば嬉しいです。

 

 

現代坐禅講義―只管打坐への道

現代坐禅講義―只管打坐への道

 

  

 

パオ

 

*1:『マインドフルネスストレス低減法』J・カバットジン著、北大路書房、2007年

*2:『サーチ・インサイド・ユアセルフ』チャディー・メン・タン著、英治出版、2016年