ツイッター語録〜仏教のエッセンス〜
ツイッターは言葉の宝庫!仏教、瞑想、マインドフルネスを学ぶ上でためになるツイッター語録のご紹介です。
はじめに
最近はやりのマインドフルネス。
Google や Intel といったグローバル企業が研修に取り入れたこともあり、日本でもその名が多くの人に知られるようになりました。
最近では、メンタリストDaiGoさんなどの影響もあり、若い層でも、瞑想に取り組む人が増えている印象です。
マインドフルネスの考え方は、もともとは伝統的な仏教の瞑想法がベースとなっています。
私は最近ツイッターを始め、仏教のことをよくつぶやかれている方たちをフォローしてみました。
すると、それが非常に勉強になるのです。
最近みたツイートの中で、印象的だったものを勝手に紹介してみたいと思います。
なが3さん
駅のホームに立つとひときわ風が冷たい。ここで、早く暖かい電車の中に入りたいと思う、その希望こそが苦しみの元だ。苦の減った未来を想像することによって、現在の苦を浮き上がらせてしまっている。ならばどうするか?現在、寒さの中にいることを納得すれば、即座に現在の苦しみが消える。
— なが3 (@naga3) January 9, 2019
なが3さんという方のツイート。
早く暖かい電車の中に入りたいと思う、その希望こそが苦しみの元だ
こういう考えに慣れていないと、何を言っているのか、良くわからないかもしれません。
誰だって寒いのはいやです。そりゃ、早く暖かい電車の中に入りたいでしょう。当たり前です。
でも、仏教ではこう考えます。
寒いのは事実。現に、身体・皮膚は、冷たい空気を感じています。
でも、「ああ、寒くてつらいなあ」「早く電車の中に入りたいなあ」と反応しているのは、身体ではなく心です。
つらいのは、寒さ自体に原因があるのではなく、寒さを「つらい」と感じる心に原因があります。
だいやめさん
掃除にしてもそうだが、「ただ掃く」時は自分を使ってない。
— だいやめ@世界解決篇 (@daiyamedesu) January 9, 2019
坐禅をされている方はお解りかと思う。
ところがあと枯れ葉がどれだけ残ってるのだろうとか考える「自分」が出てくると疲れてるくる。
連休もそうで、長い連休が逆に疲れるのはほとんどの時間に自分が居座るからだろうな。
だいやめさんという方のツイート。
枯葉をホウキで掃いています。
ただ、ホウキで掃いているだけなら、何もつらくはないはず。
でも、「まだ落ち葉がこんだけ残ってるなあ」、「ああ、掃除めんどくさいなあ」とか、心が反応するからつらいのですね。
連休にしても、「せっかくの連休だから、何か有意義なことをしなくちゃ」とか、いちいち考えるから、疲れてしまうのです。
疲れる原因は、心の反応にあるのですね。
だいやめさんは、「自分が出てくる」という表現をされています。
影さん
「ただ筋トレする」ときは自分を使ってないけど、あと何回残ってるか考えると、考える「自分」が出てきて必要以上に疲れますよな🥺🗿自分を使わず筋肉を使います💪✌️ https://t.co/rjeZ1N9g6r
— 影 (@knykanay) January 10, 2019
関連して、影さんという方のツイート。
筋トレしているときも、同じです。
「あと何回残っている」「ああ、つらい、でももう少しで終わりだ」とか、余計はことを考えるからつらいのですね。
動かすべきは、心ではなくて、筋肉です。
湘南ダンマサークルさん
「私たちの日常生活のあり方は、すぐ評価を下したり、防御や攻撃をしたり、落ち込んだり舞い上がったり、無意識のうちに自動的に反応しています。私たちは、その自動反応に莫大なエネルギーを使い、心はあちこちさ迷って思考や幻想の中を漂っています。」
— 湘南ダンマサークル (@shounan_dhamma) January 9, 2019
湘南ダンマサークルさんのツイート。
こちらは、日本テーラワーダ仏教協会ウェブサイトからの引用です。
今までの話を、人間関係に応用したものと言えるでしょうか。
人と話しているとき、無意識に、相手のことを評価したり、自分を防御したり、相手を攻撃したりしてしまいますね。
ひとりでいるときでも、心の中で、あの人は好きとか、あの人は嫌いとか、自分はすごいとか、自分はダメだとか、そんなことばかり考えてしまいます。
自動思考に、どれほどのエネルギーを費やしているのか。
寝ても醒めても、心は休む暇がありません。
プラユキ先生
瞑想実践がなぜ私たちに自由をもたらすかといえば、「今ここで何が起こっているか?」という『私』を前提にしないあるがままの事実認知を徹底していく作業により、思考により構築化された「自我概念」を解体することができ、それによって自身の行動への因果効力を無効化することができるからである。
— プラユキ・ナラテボー(公式) (@phrayuki) January 5, 2019
プラユキ先生のツイートです。
プラユキ先生は、タイで出家された日本人の有名なお坊さんです。ツイッターでも日々説法をされています。
つらいのは心が反応するからだ、という話でした。
仏教では、この「私」というもの、自我概念は、思考によって構築されたものと考えます。
ですから、思考をやめてしまえばいい。
あるがままの事実認知の訓練をしていけば、「私」という概念を解体していけるということです。
事実認知の訓練、それは瞑想に他なりませんね。
むすび
さて、ツイッター語録、いかがでしたでしょうか。
たった140文字の中に、仏教のエッセンスがぎっしり。
身体や心の、非常に繊細で微妙なところ、これを言葉にしていくのは、簡単な作業ではないはずです。
私にとっては、理解するのも説明するのも、簡単ではありませんでしたが、とても勉強になりました。
ツイッターは、言葉の宝庫ですね。
PAO