ゴエンカ氏の「ヴィパッサナー瞑想入門」3つのポイントをご紹介!
世界的に有名なミャンマーの瞑想指導者、ゴエンカ氏。その瞑想を今に伝える良書「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門」から、おさえておきたい3つの重要ポイントをご紹介します。
はじめに
ミャンマーの著名な瞑想指導者、S.N.ゴエンカ氏。
瞑想に興味のある方なら、一度は聞いたことがあるかもしれません。
ゴエンカ氏の指導による10日間の瞑想コース(合宿)は世界的にとても有名です。
日本にも京都と千葉の2か所に常設の瞑想センターがあり、年間を通じて多くの人が瞑想を学んでいます。
このエントリでは、ゴエンカ氏による瞑想入門書『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門』に書かれているポイントをご紹介します。
この本は、瞑想のやり方を具体的に一から解説したものではありませんが、瞑想を実践するにあたって心に留めておくべき考え方が書かれています。
これから瞑想合宿に参加してみようと思う方は、事前学習用にぜひ一度読んでおきたい本です。
ゴエンカ氏とは?
ゴエンカ氏(1924-2013)は、ミャンマー出身の瞑想指導者。出家した仏教僧ではなく、在家の指導者です。
ゴエンカ氏(出典:https://www.jp.dhamma.org/ja/goenka/)
もともと若い頃は実業家として成功していましたが、仕事のストレスから心身症をわずらい、深刻な偏頭痛に悩まされていたそうです。
そんな中、ゴエンカ氏は、縁あって当時高名な瞑想指導者であったウ・バ・キン氏のもとをたずねます。
以来14年間、仕事をしながら、ウ・バ・キン氏のもとで瞑想実践を続けます。
1969年、45歳のとき、インドで最初の瞑想指導を開始します。
以来、ゴエンカ氏は世界中で精力的に瞑想指導を行い、1982年からは、増え続ける指導希望者に対応するため、アシスタント指導者の任命を始めます。
2000年には、ニューヨークの国連本部で行われたミレニアム世界平和サミットで演説を行い、2012年にはインド政府から民間人に与えられる最も栄誉ある賞を授与されます。
※国連演説の様子。演説の全文(和訳)は、こちらのリンク下部から読めます。
2013年、ゴエンカ氏は89歳で亡くなりますが、同氏が設立に関わったヴィパッサナー瞑想センターの数は、現在世界に、常設のものだけでも198か所、仮設を含めると335か所もあります。
同氏が指導したヴィパッサナー瞑想の技術は、世界中を網羅しているといっても過言ではないですね。
道徳の訓練
では、本の内容を見ていきましょう。
同書には、ヴィパッサナー瞑想を実践する者が心に留めておくべき考え方がたくさん書かれていますが、その中でも、特に重要なポイントを3つご紹介します。
1つ目は、「道徳の訓練」(第5章)です。
平たく言えば、「悪いことをしないで、善いことをしなさい」ということ。
ただ、これではあまりにもあいまいです。
ブッダは、善悪や正邪に関する普遍的な定義をしました。
善いこと、正しいことというのは、①正しい言葉、②正しい行為、③正しい生活です。
この3つを守ることが、道徳の訓練になります。
①正しい言葉
「正しい言葉」とは、何でしょうか?
逆に、正しくない言葉というのを考えてみればわかります。
不純な言葉というのは、次のようなものを指す。
まず、嘘をつくこと、つまり事実を矮小化したり誇張して話すこと。それから、友だちを仲たがいさせる告げ口。かげ口や中傷。人の心を乱すだけでなんの意味もないとげとげしい言葉。自分の時間も相手の時間もむだにするうわさ話、無意味なおしゃべり。
これらの不純な言葉を除いたものが、正しい言葉になる。
引用元:『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門』ウィリアム・ハート著、春秋社、1999年。以下同じ。
②正しい行為
「正しい行為」についても、正しくない行為を考えればわかります。
不純な行為というのは、つぎのようなものを指す。
生き物を殺すこと。盗むこと。強姦や不貞などの性的なあやまちを犯すこと。泥酔して理性を失い、自分が何を言い、何をしているのかわからなくなること。
これら四つの不純な行為をつつしめば、あとは正しい行為、よい行為だけが残る。
③正しい生活
正しい生活には二つの目安がある。
一つは、自分の仕事が「五戒」を破らないこと。五戒を破れば必ず人を傷つけるからだ。
もう一つは、人に「五戒」を破らせないこと。やはり、それも人を傷つけることになるからである。
直接的にも間接的にも、自分の生活手段によって他者が傷つくようなことがあってはならない。
※五戒とは、生き物を殺さない、盗みをしない、性的なあやまちを犯さない、嘘をつかない、酒類をとらない、の5つ。
ヴィパッサナー瞑想の10日間コースに参加すると、この「道徳の訓練」は全て守るように言われます。
お酒や性的行為はもちろんのこと、他の参加者とのコミュニケーションも基本的には禁止。
10日間、沈黙の中でひたすら自分の内面を見つめる作業を行います。
これらを破ってしまうと、心が動揺して、自分の内なる現実を見つめることができなくなるので、道徳の訓練は大変に重視されています。
精神集中の訓練
2つ目は、「精神集中の訓練」(第6章)です。
1つ目の「道徳の訓練」は、私たちの言動をコントロールするものでした。
でも、いくら言動をコントロールしても、心の中が病的であったら、決して幸せにはなれません。
そこで、「精神集中の訓練」によって、心を浄化する必要があります。
「精神集中の訓練」には、④正しい努力、⑤正しい気づき、⑥正しい精神集中の3つがあります。
④正しい努力
ここで言う「正しい努力」とは、呼吸に気づく訓練のことです。
呼吸は万人の生理現象であり、瞑想の対象になります。
瞑想中、自然な呼吸に意識を集中します。
やってみるとすぐわかりますが、呼吸に意識をおいても、過去の記憶や、将来の計画、願望、不安などが頭の中でどんどんわいてきます。
床にすわり、雑念にとらわれないようにして呼吸に注意を集中する。そうやって自己に気づいている健全な心の状態に入り、それを保つ。
雑念に流されたり、ぼんやりして現実を見失うような状態に陥らないように努力する。
これが「正しい努力」と言われるものです。
⑤正しい気づき
これは、「正しい努力」とも関連しています。
「正しい気づき」とは、瞑想中、自分がどんな体験をしているのかということに、ありのままに気づいているということです。
瞑想を続けていると、いろんな思いが浮かんできます。
もっといい瞑想ができないだろうかといらだつのは、渇望の一つのあらわれである。
また、思うように瞑想ができなくて、怒りや落胆という形で嫌悪が姿をあらわすことがある。
ときには無気力におそわれ、瞑想しようと思ってすわったとたん居眠りを始めることもある。
そんなときは、呼吸の瞑想がうまくいっており、そのためにいろいろな困難が生じているのだということを理解する必要がある。
辛抱強く瞑想を続けていれば、そうした困難は消えてゆく。
⑥正しい精神集中
「正しい精神集中」とは、どんな状況でも、動揺せず落ち着いていられる能力を培うことです。
精神集中が深まると、力みがなくなり、幸せな気分になり、エネルギーが満ちあふれる感じがする。呼吸は徐々にやわらかく規則的になり、軽く、浅くなる。
事実、心が静まるとからだも落ち着き、代謝作用が低下し、酸素もあまり必要でなくなる。
場合によっては、脳がトランス状態になり、快感を感じるような体験をすることがあるのだそうです。
ただ、それも単なる脳の現象。
ちょっと特殊な体験をしたとしても、とりたてて喜んだり騒いだりすることなく、たんたんとそれを観察すればいいのだそうです。
このように、正しい努力、正しい気づき、正しい精神集中という3つのプロセスを通じて、精神集中の訓練を積んでいくと説明されています。
知恵の訓練
さて、3つ目は「知恵の訓練」(第7章)です。
1つ目の「道徳の訓練」、2つ目の「精神集中の訓練」は、それ自体でも価値のあるものです。
しかしブッダは、意志の力でいくら道徳規範を守っても、いくら精神集中して心を落ち着かせても、本当の意味での心の平安は得られないと説きました。
心を緊張させたり、誤った行動をとらせる衝動を生み出す、問題の根っこを取り除いてしまおうというのが「知恵の訓練」です。
知恵の訓練には、⑦正しい考え、⑧正しい理解の2つがあります。
⑦正しい考え
道徳の訓練や精神集中の訓練によって、瞑想を続けていくと、雑念が浮かんできたときも思考パターンが良い方向に変化していくそうです。
呼吸に意識を置く修行によって嫌悪や渇望がだんだん弱くなる。少なくとも表面意識のレベルでは心が安らぐ。そして、苦から抜け出す道について、考えるようになる。
これが、「正しい考え」です。
⑧正しい理解
「正しい考え」は、「正しい理解」へとつながります。
「理解」という言葉が使われていますが、これは頭で理解するということではありません。
自分自身の力で、自分のからだで体験することをもって、理解するということです。
別に、超常的で神秘的な体験のことをいっているわけではありません。
例えば、「感覚はたえず変化する」ことを理解するということ。
一瞬一瞬、からだじゅうになんらかの感覚が生じ、変化する。全ての感覚が変化のあかしである。電磁気的、生化学的な反応など、体のあらゆる部分で、一瞬一瞬、変化が起こっている。
さらにそれ以上のスピードで心のプロセスが変化し、それが体の変化となってあらわれる。
これが心と物の究極の現実である。
そして、もう一つの事実を理解します。
「わたし」というもの、永遠の自己もしくは自我、そのようなものは決して存在しない。
私たちがひどく入れ込んでいる自我は幻想であり、実は心とからだのプロセスの集合体なのである。
それはたえず流動している。心とからだの深層を見つめると、不変の核のようなものがまったくない。
ヴィパッサナー瞑想を続けていくと、平静な心が保たれ、むやみに反応しなくなるといいます。
たんたんと、感覚だけを観察することにより、渇望も嫌悪も執着もなくなります。
「感覚は無常であり、必ず変化する。生まれては消えていく」という洞察を授けてくれます。
これが、「知恵の訓練」です。
これは仏教の教えなのか?
さて、ゴエンカ氏の教えをここまで読み進めてくると、この分野に詳しい方なら、「これ、仏教の教えじゃない?」と思われるかもしれません。
この本、実は翻訳本で、もともとはカナダ人によって英語で書かれています。
その関係もあるのか、文中、あまり仏教用語はあまり使われず、わかりやすい平易な言葉で書かれています。
ただ、中身を見ると、仏教の教えの内容そのものです。
先にご紹介した話のポイントは、以下のように、仏教用語を当てはめることができます。
この本の用語 |
仏教用語 |
この本の用語 |
仏教用語 |
道徳の訓練 |
戒 |
①正しい言葉 |
正語 |
②正しい行為 |
正業 |
||
③正しい生活 |
正命 |
||
精神集中の訓練 |
定 |
④正しい努力 |
正精進 |
⑤正しい気づき |
正念 |
||
⑥正しい精神集中 |
正定 |
||
知恵の訓練 |
慧 |
⑦正しい考え |
正思 |
⑧正しい理解 |
正見 |
①から⑧までをまとめて、仏教では八正道といいます。
ブッダは、人生は苦であるとしましたが、苦そのものを消滅させるための具体的な方法として、この8つの道を説いたわけです。
ですからゴエンカ氏は、仏教の教えをわかりやすく説いていると言えなくもありません。
しかしながら、ゴエンカ氏は、ヴィパッサナー瞑想は長年仏教徒の間で伝承されてきたものではあるものの、それ自体は宗教ではないことを強調しています。
わたしは何々教といったものには興味がありません。
ただブッダの説かれた教え、ダンマを説いているだけです、ブッダは仏教という宗教を説いたことも、何か特定の教義を説いたこともありません。
その人がキリスト教徒であればよいキリスト教徒に、ユダヤ教徒であれば良いユダヤ教徒に、イスラム教徒であればよいイスラム教徒に、仏教徒であればよい仏教徒になるでしょう。
つまりは、よりよい人間になることができるのです。
よりよい人間にならずして、よいキリスト教徒、よいユダヤ教徒、よいイスラム教徒、よい仏教徒になることはできません。
よい人間になること、これが一番肝心なのです。
ゴエンカ氏が、ヴィパッサナー瞑想は「宗教ではない」ことを強調している背景には、ゴエンカ氏が活躍した当時のミャンマーやインドにおける社会情勢があるように思われます。
ミャンマーやインドの社会は、長年宗教による分断・対立が深刻でした。
これを身をもって体感していたゴエンカ氏は、できるだけ宗教色を排除し、どんなバックグラウンドをもった人でも取り組めるものとして、瞑想の技術を世に広めました。
結果、ゴエンカ氏の瞑想法は、世界中に普及しています。
出典:https://www.dhamma.org/en/maps#001
この地図を見てもわかるように、現在、世界には常設の瞑想センターが198か所、仮設のものも含めると335か所もあります。
アジア、北米、ヨーロッパはもとより、仏教に縁のなさそうなアフリカ、中南米、南太平洋の島々にまで、瞑想センターが多数あるのには、正直驚きです。
瞑想は、宗教や宗派を問わず、どんな人でも実践できる。
これが在家の指導者であったゴエンカ氏の意図するところであったのだろうと思います。
おわりに
ゴエンカ氏の瞑想センターは、日本にもダンマバーヌ (京都府船井郡)とダンマーディッチャ(千葉県長生郡)の2か所に常設のものがあります。
10日間の瞑想コースは、年に20回ほどのペースで開催されています。
10日間という長い期間であるにも関わらず、最近では参加を希望する人が増え、キャンセル待ちが生じているくらいです。
このコースに興味のある方には、事前学習用に、ぜひおすすめしたい本です。
- 作者: ウィリアム・ハート,日本ヴィパッサナー協会,太田陽太郎
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本の随所に、率直な疑問を集めたQ&Aコーナーや、含蓄のある物語が挿入されていて、色々な角度から、ヴィパッサナー瞑想への理解を深めることができます。
参考になれば嬉しいです。
パオ