同僚や上司の死と「働き方」について
今日は少し重たい話題になりますが、職場の同僚・上司の死と「働き方」ということについて、私の経験談から少しお話ししたいと思います。
はじめに
今日は、少し重たい話題になりますが、職場の同僚・上司の死ということについて、私の経験談をお話ししたいと思います。
私は、昨年の夏まで、国家公務員でした。
6年くらい、働きました。
私が働いていた組織は、国家機関の中でも、比較的小さなところ。
職員数は、1000人くらいの規模です。
1000人というと大人数に思うかもしれませんが、1年もそこにいると、だいたい顔は知れてきます。
誰がどこに異動したとか、誰と誰が結婚したとか、誰が退職したとか、そういう人事の話は、わりと筒抜け。
昔ながらの日本の会社のような感じです。風通しはあまりよくありませんね。
そして、当然ながら、職員やそのご家族が不幸にも亡くなった場合は、その知らせも、よく耳にすることがあります。
同僚・上司の死は珍しくない
私が国家公務員として6年間働く中で、
同僚や上司の死というものが、決して珍しいことではないということを知りました。
これは、会社勤めの経験がある方なら、みなさんご存知のことかも知れません。
私がここで問題にしたいのは、働きすぎによる突然の死です。
過労死・過労自殺ということばがあります。
過労が原因であることを証明するための一定の要件を満たし、労災認定された人の数は、近年は200人前後で推移しています。
でも、これは氷山の一角。
死因は、心筋梗塞とかクモ膜下出血などとされていても、明らかにこれは「働きすぎ」が大きな原因の一つにはなっているだろうと思われるものが、たくさんあるわけです。
私が、職場で見聞きしてきたケースも、ほとんどはこれに当てはまります。
もともとカラダが弱かったり、持病を抱えたりという事情はあったのかもしれません。
原因の100%が仕事だとは言い切れないのかもしれません。
でも、そばで見ていて、明らかに「最近あの人、仕事がんばり過ぎてたよね」と思わずにはいられないようなものがあるのです。
過労死ラインの目安は、月あたりの時間外労働が、80時間といわれます。
でも、東京でバリバリ働くサラリーマンの感覚からすると、「80時間」という数字は、人を驚かせるような数字ではありません。
ごく当たり前のように、月の残業100時間、場合によっては200時間ということもザラにあります。
私がいた職場もそうでしたし、民間でもそういう業界はたくさんあります。
私が見聞きしたケース
職場における同僚や上司の突然の死。
私が見聞きしたケースを、少しだけお話しします。
いちばん印象に残っているのは、私が仕えていた直属の上司(課長)です。
50歳くらいの男性です。
正確には、元上司です。
私がその部署から異動して、しばらくして亡くなりました。
課長は、ある日、勤務中に、「ちょっと頭が痛い」といって、トイレに行きました。
トイレからなかなか出てこない。おかしいと思って私の同僚がトイレにいって呼びかけても、返事がない。変なイビキをかいている。
同僚は様子がおかしいので、救急車を呼びました。病院に運ばれ、意識が戻ることなく、1週間後に亡くなりました。
クモ膜下出血だったとのことです。
私が知る限り、その課長は、特に持病を持っていたわけではなく、ふつうに元気でした。
その部署はたった8人くらいしかいない小さな課だったので、私は課長とかなり近い距離で仕事をしました。
2人だけで海外出張にいったこともありました。
倒れる前日までふつうに元気だったそうですが、直近数か月は相当カラダに無理をされていたそうです。
知らせを聞いたときは、あまりに突然のことだったので、信じられませんでした。
他にもあります。
仕事でもたまに関わることのあった、となりのの部署の先輩。40歳くらいの男性。
数か月続いた繁忙期をへて、体調が悪化。
しばらく病気休暇を取られていましたが、ある日、亡くなったとのお知らせ。
あとから聞いた話では、体調が悪い中、でも繁忙期だからと仕事を休めず、ムリをされていたとこと。
また、先輩が自殺されたというのもありました。
直接顔見知りではなかったですが、数年上の先輩が、職場の近くで首を吊って自殺されたということもありました。
当時、20代後半の男性です。
さらに、まだ新人か2年目くらいの若手女性職員の突然死というのもありました。
私が6年間勤めている中で、こういうことが、年に1〜2回はありました。
そのうちの全てが、過労によるものではなく、さまざまな要因があったのだと思います。
原因があまりよくわからないものもありますし、私が得た情報も限られてはいます。
ですが、こういうことが毎年のようにあると、どうしても「働き方」について、真剣に考えざるを得ませんでした。
自分の身は自分で守るしかない
上司や同僚が亡くなるというのは、すごくショッキングな出来事です。
一緒に働いていた人は、故人に対して自分が負担をかけてしまっていたのではないかと、罪悪感を抱くこともあります。
部署のメンバーがそのショックから立ち直るまで、長い時間を必要とします。
また、明日は我が身ではないかと、怖れる人もいます。
私も、時期によっては月に100時間の残業を経験していましたから、時折職場内で不幸な知らせを聞くと、「次は自分が倒れるんじゃないか」みたいな思いが脳をかすめることもありました。
結局、自分の身は自分で守るしかありません。
長時間労働の問題は、人々の意識だけでは変えることができません。
制度上の問題もありますし、政治や経済の状況にももろに影響を受けます。
いくら仕事で頑張っても、適切な評価を受けられないことはありますし、いくら正論を並べても、取り入れられないことは多々あります。
「あ、ここヤバイ」と思ったら、まず逃げること。
そうやって、自分の命を守るのが先です。
自分の命を守れるのは、所属長や組織のトップではなく、また政治の力でもなく、自分しかいないのです。
おわりに
私がいた職場は、とりわけブラックだといわれていたわけではありません。
しかし、部署や時期によっては、過労死ラインをゆうに超える勤務実態がありました。
訃報に接するたびに、「自分はこんな働き方、ずっとはできないな」ということを感じていました。
国家公務員という地位は、過酷な受験戦争や就職試験を勝ち抜いた末に手にしたものでした。
ですが、実際に公務員として働いてみて、
毎日、人間らしく健康的な暮らしをする、これに勝る価値はないということを知りました。
世の中にはいろいろな働き方がありますが、とにかく、カラダに無理をしてはいけません。
何かあってからではもう遅いです。
日頃から、自分はどこかで無理をしていないか、まわりにそういう人がいないか、しっかりとフォローしていきたいものですね。
パオ