サピエンス全史と仏教
世界で大ベストセラー「サピエンス全史」の中にある仏教の説明がとても秀逸だったので、紹介します。
はじめに
「サピエンス全史」
ご存知の方も多いと思います。
全世界で大ベストセラー。
バラク・オバマ元大統領や、ビル・ゲイツ氏も推薦する、有名すぎる歴史書ですね。
著者は、イスラエル人歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏。
最近では、新著「ホモ・デウス」も話題ですね。
さて、「サピエンス全史」、人類が今までたどってきた歴史を俯瞰する壮大な物語ですが、
その中に、仏教に関するおもしろい記述がありました。
これについては、「ごまかさない仏教」という本の前書きでも触れられており、一部では注目を集めていたようです。
ブッダが目にしたもの
仏教の中心的存在は神ではなくゴータマ・シッダールタという人間だ。
仏教の伝承によると、ゴータマは紀元前500年ごろの、ヒマラヤの小王国の王子だったという。
若いころこの王子は自分の周りの至る所で見られる苦しみに深く心を悩ませた。
彼は老若男女がみな、戦争や飢饉のような折々の災難ばかりではなく、不安や落胆、欲求不満といったすべて人間の境遇とは切り離しようのなさそうなのにも苦しんでいるのを目にした。
人々は富や権力を追い求め、知識や財産を獲得し、息子や娘をもうけ、家や御殿を建てる。
それなのに、何をなし遂げようと、決して満足しない。
貧しい暮らしを送る者は富を夢見る。
巨万の富を持っているものはその倍を欲しがる。
倍が手に入れば10倍を欲しがる。
金持ちで高名な人さえ、満足していることは珍しい。
彼らも絶えず不安や心配につきまとわれ、挙句の果てに病気や老齢、死によってそれに終止符を打つ。
人が蓄え、積み上げたものはすべて、煙のように消えてなくなる。
人生は意味のない、愚かで激しい生存競争だ。
引用元:「サピエンス全史(下巻)」ユヴァル・ノア・ハラリ著、河出書房新社、2016年
ゴータマ・シッダールタ(ブッダ)とは、私たちがよく知るお釈迦さまのことですね。
でもここでは、信仰の対象ではなく、歴史上の人物をさしています。
シッダールタ王子は王宮を出て、世の中の現実を目の当たりにします。
貧しい人も、豊かな人も、みんな苦しんでいる。。
これは、2500年たった今も、全く変わっていませんね。
なぜ私たちは苦しいのか?
痛みが続いている限り、私たちは不満で、何としてもその痛みをなくそうとする。
だが、快いものを経験した時にさえ、私たちは決して満足しない。
その快さが消えてはしないかと恐れたり、あるいは快さが増すことを望んだりする。
人々は愛する人を見つけることについて何年も夢見るが、見つけた時に満足することは稀だ。
相手が離れていきはしないか不安になる人もいれば、大したことない相手でよしとしてしまったと感じ、もっと良い人を見つけられたのではないかと悔やむ人もいる。
周知の通り、不安を感じながら悔やんでいる人さえいる。
引用元:上に同じ
世の常ですね。
お金持ちになりたい、社会的名声がほしい、モテたい、結婚したい。
あと、フォロワーが欲しいとか、インフルエンサーになりたいとかw
しかし、よく考えてみてください。
お金も異性も、欲しいものが全部手に入ったとしても、みなさん、期待していたほど幸せにはなっていないですよね。
新しい問題が生まれ、また思い通りにならず、悩みます。
私たちは、どこまでいっても苦しいのです。
苦しんで、苦しんで、やがて老い、死んでしまうのです。
どうすれば苦しみはなくなるの?
ゴータマはこの悪循環から脱する方法があることを発見した。
心が何か快いもの、あるいは不快なものを経験したときに、物事をただあるがままに理解すれば、もはや苦しみはなくなる。
人は悲しみを経験しても、悲しみが去ることを渇愛しなければ、悲しさは感じ続けるものの、それによって苦しむことはない。
じつは、悲しさの中には豊かさもありうる。
喜びを経験しても、その喜びが長続きして強まることを渇愛しなければ、心の平穏を失うこと無く喜びを感じ続ける。
だが心に、渇愛することなく物事をあるがままに受け入れさせるにはどうしたらいいのか?
どうすれば悲しみを悲しみとして、喜びを喜びとして、痛みを痛みとして受け入れられるのか?
ゴータマは渇愛することなく現実はあるがままに受け入れられるように心を鍛錬する、一連の瞑想術を開発した。
この修行で心を鍛え、「私は何を経験していたいか?」ではなく「私は何を経験しているか?」にもっぱら注意を向けさせる。
このような心の状態を達成するのは難しいが、不可能ではない。
引用元:上に同じ
さて、これは、仏教にエッセンスに関わる部分ですが、ちょっとなかなかわかりにくいですね。
悲しみを悲しみとして受け入れる?
何をいっているの?という感じかもしれません。
悲しい気持ちになるというのは自然なことです。
悲しみは、何かがあったとき、あるいは何もなくても、おのずから湧いてくるものですね。
でも、悲しみが湧いてきたときに、無意識のうちに、悲しみを抑えつけたり、逃げようとしたり、悲しみが去ること望んだりしてしまいますよね。
無意識のうちに、心が反応して動いてしまうのです。
そこで、自ずから湧いてくる悲しみと、それに伴う心の反応を切り離してしまう。
そして、反応する心の動きを、消去してしまおうというこということです。
これが、著者のいう、「悲しみを悲しみとして受け入れる」ということです。
ブッダは、そのメソッドを開発したというわけですね。
これが、仏教のエッセンス。
宗教というよりは、心のトレーニングとしてとらえることができると思います。
むすび
「ごまかさない仏教」の著者の一人である、宮崎哲弥さんは、サピエンス全史の記述に触れ、仏教の ”芯” をつかんでいると評しています。
サピエンス全史の中で、仏教に関する記述はほんの一部です。
しかし、下手な仏教書よりも、よほど仏教のエッセンスをとらえたものとなっています。
日本語訳からでも、著者の卓越した知性・表現力が伝わってきます。
まだの方は、ぜひ手にとってみてください。
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